4月27日(水) ヨブ記 23章 音声を再生できませんでした その方にわたしの訴えを差し出し思う存分わたしの言い分を述べたいのに。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 23章4節 思う存分言い分を述べたい 神と和解せよとのエリファズの勧めは、ヨブにとってはむなしい言葉でした。 ヨブは「その方にわたしの訴えを差し出し、思う存分わたしの言い分を述べたい」、「そうすれば、わたしは神の前に正しいとされ、わたしの訴えはとこしえに解決できるだろう」と安直な和解よりも神との対論を希望しています。 ヨブにとっては、神は「東に行ってもその方はおられず、西に行っても見定められない。北にひそんでおられて、とらえることはできず、南に身を覆っておられて、見いだせない」と感じられるようです。 無理もありません。神は「わたしの足はその方に従って歩み、その道を守って、離れたことはない」という無罪のヨブを、激烈な苦難に落としておられます。ヨブにとって「神は望むがままに行われる」独断の神です。「それゆえ、わたしは御顔におびえ、考えれば考えるほど、恐れる」。 神への恐怖の中で隠れた神を追い求めるヨブの言葉は、エリファズへの反論というよりも、神に訴える言葉です。その言葉で、ヨブは神に繋がり続けます。神の前で、一人で語る言葉の一つひとつを神は決して聞き逃されません。 西田 三郎
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神と和解せよとのエリファズの勧めは、ヨブにとってはむなしい言葉でした。
ヨブは「その方にわたしの訴えを差し出し、思う存分わたしの言い分を述べたい」、「そうすれば、わたしは神の前に正しいとされ、わたしの訴えはとこしえに解決できるだろう」と安直な和解よりも神との対論を希望しています。
ヨブにとっては、神は「東に行ってもその方はおられず、西に行っても見定められない。北にひそんでおられて、とらえることはできず、南に身を覆っておられて、見いだせない」と感じられるようです。
無理もありません。神は「わたしの足はその方に従って歩み、その道を守って、離れたことはない」という無罪のヨブを、激烈な苦難に落としておられます。ヨブにとって「神は望むがままに行われる」独断の神です。「それゆえ、わたしは御顔におびえ、考えれば考えるほど、恐れる」。
神への恐怖の中で隠れた神を追い求めるヨブの言葉は、エリファズへの反論というよりも、神に訴える言葉です。その言葉で、ヨブは神に繋がり続けます。神の前で、一人で語る言葉の一つひとつを神は決して聞き逃されません。