山々はぶどうの汁を滴らせる | アモス書 9章

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アモス書 9章

見よ、その日が来れば、と主は言われる。
耕す者は、刈り入れる者に続き
ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。
山々はぶどうの汁を滴らせ
すべての丘は溶けて流れる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 アモス書 9章13節

山々はぶどうの汁を滴らせる

主の日は闇であって光ではないと、主は語っておられました。その日を待ち望む者は災いだ、と(5章18節)。

しかし、9章の「その日」(複数形)は神がイスラエルの廃墟を復興してくださる時です。収穫の後には再び畑は耕され、ぶどうの種を蒔けば豊かに実を結び、人びとを潤します。そうしてイスラエルの繁栄も回復されます。主は、イスラエルの罪のゆえに激しい怒りを注がれますが、憐れみをも注いでくださり、荒れ果てた町を再建してくださるお方なのです。

ところで、新約聖書の視点から読むと、イスラエルの繁栄の回復とは、歴史的、地理的に国土を持つこの世の国のことではありません。主イエスにとって「わが民イスラエル」とは、ある国土、ある民族に限定されるものではなく、「まことの主の民」のことです。その民は、水をぶどう酒に変えることさえできる救い主によって集められます。そうして主の民として幸いな日々を歩ませていただけるのが、今日、主を信じて生きる民、私たちなのです。

その民は、主が植えられるのですから、もう再び、引き抜かれることはありません。

久保田 証一(尾張旭伝道所)