キリストの血と体による交わり | コリントの信徒への手紙一 10章

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コリントの信徒への手紙一 10章

わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 10章16節~17節

キリストの血と体による交わり

パウロは、コリント教会で聖餐を執行しているかのように、「賛美の杯」を語ります。ユダヤの習慣では、食事の最後に飲むブドウ酒を賛美の杯、あるいは「祝福の杯」と呼びました。

キリストが最後の晩餐のあるじとして過越の食事にふるまわれたブドウ酒は、「キリストのまことの血」による交わりによって、人が罪を赦され、神との和解に入れられる「祝福のしるし」でした。ゆえに、憐れみ深い神への「賛美の杯」と呼ぶことは、聖餐のブドウ酒にふさわしい。

このようなキリストとの交わりは、キリスト者相互の交わりへと拡がります。一つのパンを裂いて、すべてのキリスト者が分かち合う聖餐の食べ方は、「キリストのまことの体」による交わりにおいて、教会の本質である「聖徒の交わり」を表します。

我らはひとつの聖霊に満たされ、ひとつの洗礼を受け、ひとつのパンから食べ、ひとつの杯から飲み、ひとつの信仰に立って、ひとつの希望を分かち、ひとつの愛に生きる。ゆえに「キリストの共同体」と呼ぶことは、聖徒の交わりにふさわしい。

二宮 創(太田伝道所)