父に愛されたくて | フィリピの信徒への手紙 3章1-11節

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フィリピの信徒への手紙 3章1-11節

わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィリピの信徒への手紙 3章9節

父に愛されたくて

ヘミングウェイの短編に、スペインに暮らす父と子の物語があります。父との関係が悪くなり、息子パコ(スペインではありふれた名前)は家を出て行ってしまいます。息子を探し続ける父親は、新聞の尋ね人の欄に広告を掲載しました。「パコへ。明日の正午、ホテル・モンタナで会おう。過去のことは全て赦した。父より」。すると、翌日の正午、何と国中から8百人の「パコ」が父の赦しを求めてホテルにやって来たのです。

これは物語ですが、多くの子どもたちが、父から「愛される子」として受け入れられたいと願っているのではないでしょうか。

パウロは、割礼や学歴・熱心な信仰のゆえに、神に「愛される子」として認められたいと努力を続けました。しかし、今では、キリストのゆえにそれらを塵あくたと見なすようになったと証します。

私たちの出来不出来によって、神の愛が変わることなどありません。神は御子キリストをお与えになったほどに私を愛しておられ、「あなたを赦した。待っているよ」と、その御手を差し伸べておられます。その恵みを、信仰によって受け取りましょう。

小橋口 貴人(那加教会)