幸福とは何か | コヘレトの言葉 6章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コヘレトの言葉 6章

短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コヘレトの言葉 6章12節

幸福とは何か

コヘレトは、「人間を大きく支配している」不幸を一つ一つ見つめます。

幸福だと思っていた矢先に不幸に襲われるという人の世の常を見たり、体験したりするほどに、幸福とは何かを誰が知ろうかと思わざるをえません。私たちには知り得ない「幸福」であるにもかかわらず、「幸福でなかったら何になろう」とばかり、あてどのない思いのうちに、短く空しい人生の日々が影のように過ぎていきます。

そして、過ぎた後はといえば、「人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれる」ものは「太陽の下」にはない(12節)。そのような悲しみを落としながら日々を歩む。これほど寄る辺ない人生はありません。しかし、私たちには「一生の後はどうなるか」を教えてくださった方がいます。私たちのために「父の家」に「場所を用意」して、帰ってきてくださった方です(ヨハ14章2、3節)。

この世のすべての不幸に倍する報いを約束されている私たちは、この世の幸福も不幸も、決して空しくないもの、豊かな意味を与えられている者として歩んでいきたいと思います。

赤石 純也(伊丹教会)