神を知り自分を知る「自分探し」 | ホセア書 4-7章

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ホセア書 4-7章

わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ホセア書 6章6節

神を知り自分を知る「自分探し」

神に背き続けた北イスラエル王国は、いよいよ国家滅亡の危機を迎えます。厳しい現実に直面したイスラエルの人々は、「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし」てくださるだろうと、期待を込めて語ります(1節)。とにかく神の御怒りを避けるために、うわべだけの悔い改めの儀式を行ったのでした。

しかし、神は、これが心からの悔い改めでないことをよくご存じでした。神が喜ばれるのは、愛であって、いけにえではない。神を知ることであって、形だけの献げ物ではないのです。

もし、イスラエルの民が神と向き合い、神からの御言葉を真剣に聞いていたならば、自分たちがいかに神から遠く離れたところを歩んでいたのか分かったでしょう。イスラエルは、神を見失い、自分自身を見失っていました。

「自分探し」という言葉があります。「本当の自分とは何か」、「自分の存在の意味は何か」を問うのです。この問いの答えは、私たち一人ひとりをお造りになった神との出会いなしには与えられません。このお方と出会うときに、私たちは自分が何のために存在し、何をなすべきかを知るのです。「自分探し」とは、創造者なる神に帰り、神を知ることなのです。

【祈り】

わたしをお造りになった神様、あなたを知り、自分自身のことをもっと知ることができますように。

小橋口 貴人(那加教会)