恵みのみ ―宗教改革の三大原理― | ローマの信徒への手紙 3章23-25節

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ローマの信徒への手紙 3章23-25節

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 3章23節~24節

恵みのみ ―宗教改革の三大原理―

「信仰のみ」と「恵みのみ」はコインの裏表の関係のように切り離すことができません。宗教改革の三大原理ではひとつと見なされています。

ローマの信徒への手紙といわず、パウロの書簡を熟読すると、パウロの神学の中心は、信仰と恩寵であることが分かります。私たちは(わたしの個人的な感想かも知れませんが)福音書の主イエスの御言葉には関心を寄せますが、パウロの書簡となると難解だとして敬遠する傾向があるように思います。

私たちの側からいえば、つまり主観的には救いは信仰によってもたらされますが、キリストの側からみれば私たちの救いに関しては神の恵みによります。

神は私たちを救おうとされます。私たちの何らかの理由、たとえば功績や熱心、敬虔や信心の有無や強弱によって私たちを救いに選び出されたのではありません。ただ神の恩寵、慈しみが動機です。私たちは何の代価も支払わず、フリーに(つまり1円も支払わず)救いに入れられ、永遠の御国に入れられます。

宗教改革は神が全く恵みの神であることを私たちに思い知らせます。この神の恵みの深さ、広さ、大きさを想起することを日常生活の根本において生きていくことこそ求められていると断言できます。

【祈り】

救いの恵みを福音においてはっきりと知ることができますように。

金田 幸男(西谷伝道所)