お元気ですか。千城台教会の高瀬一夫です。
今日は新約聖書マタイによる福音書7章13〜14節を学びましょう。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
この聖書の個所はクリスチャンでない人も知っているのではないでしょうか。3月は受験シーズンです。自分の入りたい学校の入学試験が難しくて、狭き門という言葉が使われます。文学の中でも狭い門は多く取り上げられています。困難なこと、苦しい状況を言い表す言葉として用いられています。
さて聖書がこの言葉「狭い門」で言いたい事は、天国の門が狭いということです。狭い、細いということで意味されていることは色々考えられます。見つけにくい、身をかがめなければ入れない、少数である、などのことです。
でもキリスト教を信じる者にとって天国は決して狭い、細いとは感じていません。
問題は信じていない人々が信じるために、狭さ、細さを感じるということです。この世の多くのわずらいがあってなかなか信じることができないのです。
今日あなたに知っていただきたいことは、信仰は自分で信じるのではなく、信じることができるようにしてくださる神様のその招きに素直になれば狭く細いと感じていた入口が、嘘のように思える経験をすることができるということです。
私は40年前にこの経験をしました。あなたも信じる者となってください。