いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのTさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
Tさん、メールありがとうございました。「赤い靴」の歌は、大正10年(1921年)に、野口雨情によって作詞され、翌年、本居長世が曲をつけたとても有名な童謡ですね。わたしも小さいころ、あの曲を聴くたびに切ない悲しい気持ちになったものでした。
実は赤い靴の女の子が実在する人物だったと言うことがわかったのは、1973年に北海道新聞に寄せられた一人の人物の投稿がきっかけでした。その記事寄せたのは岡そのさんという人で、その人こそ、この赤い靴の女の子の実の妹さんだったのです。実は岡そのさんも赤い靴の歌に歌われた実の姉である女の子にはあったことがありませんでした。ご自分が生まれたときには、既にあの歌に出てくる「異人さん」の手にお姉さんは引き取られていたからです。ただ、お母さんから聞かされた話として、その記事を新聞に投稿したのだそうです。もちろん、この時点ではご自分のお姉さんがてっきり異国の土地に渡っていったものと信じ続けていました。
ところが、この記事をきっかけに、当時北海道テレビの記者だった菊池寛さんが赤い靴の女の子のことを丹念に調べたところ、意外な事実が明らかになりました。
赤い靴の女の子の名前は岩崎きみ、1930年(明治35年)7月15日に静岡県不二見村、現在の清水市宮加三というところで生まれました。訳あって、母親の岩崎かよは、娘のきみを連れて、北海道に渡ります。やがて再婚の話が持ち上がり、夫の鈴木志郎という人と一緒に開拓農場で働くことになりました。しかし、当時の北海道の開拓地での暮らしは想像を絶するような厳しさで、当時3歳であったきみちゃんを手放さざるを得なくなってしまったのです。そのきみちゃんの引き取り手が、当時アメリカからやってきていた宣教師、チャールズ・ウェスレー・ヒューエット夫妻でした。やがてヒューエット宣教師は任務を終えて帰国することになりますが、いざ、きみちゃんをアメリカにつれて帰ろうとすると、きみちゃんの体は当時不治の病とされていた結核に冒されていて、とても船に乗せることができるような状態ではありませんでした。それで、やむなく、ヒューエット宣教師と同じ教派の麻布教会(現在の鳥居坂教会)が当時運営していた孤児院にきみちゃんを預けることになったのでした。きみちゃんが6歳のときのことでした。
一方、開拓農場では火災などの苦しい目にあった鈴木志郎と妻のかよは、失意のうちに開拓地をあとにして札幌に移り住むようになりました。1908年(明治40年)のことです。そこで職場が同じだった野口雨情に娘のきみちゃんのことを話したのでしょう。因みに、野口雨情も同じころ、生まれて7日で娘を亡くしていました。このことは後に「シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、壊れて消えた」という「シャボン玉」の歌に歌われるようになりました。
そういうこともあって、きみちゃんの話は野口雨情の心に深く残ったのでしょう。もちろん、きみちゃんが日本に残っているとは誰も知りませんでした。てっきりヒューエット夫妻と一緒に横浜の波止場からお船に乗って異国の土地にわたり、そこで元気に暮らしているものと思っていたことでしょう。
その後のきみちゃんですが、9歳で息を引き取りました。青山墓地にある鳥居坂教会のお墓に葬られています。墓誌には父親の姓を名乗り「佐野きみ」の名前で記されています。
赤い靴の歌に歌われた一人の少女の短い生涯のことを思うと本当に胸がつぶれる思いがいたします。今のように豊かで便利な時代から過去のことを振り返ると、理解できないようなことばかりです。故郷を去って北海道で暮らさなければならなかった未婚の母、岩崎かよの事情、娘を養子に出さなければいけなかった再婚のかよ夫妻の事情、結核の子を置いて帰国せざるを得なくなったヒューエット宣教師夫妻の事情、そのことを実の母親に連絡できなかった事情、そのどれをとっても、今の時代なら、こうもできただろう、ああもできただろうと言えるかもしれません。しかし、このお話に登場する一人一人が、与えられた情況の中で精一杯生きてきたのだろうと想像いたします。そのことは疑いえません。
果たしてきみちゃんが本当に幸せだったのかどうか、これは誰にも言うことは出来ないでしょう。ただ、限られた状況の中で、きみちゃんと関わった人々からたくさんの愛を受けたであろうと信じたい思いです。
そして、何よりも養子として迎え入れられたヒューエットご夫妻のもとで聖書の話に触れ、キリストの愛に触れる機会に恵まれたのではないかと思います。
最後の3年間を過ごした孤児院での暮らしは、病気との戦いの中で苦しく、また寂しい日々であったかもしれません。しかし、そこでもキリストの愛を信じる人たちの手によって優しく包まれていたと信じたい思いです。
キリストが再び来てくださる日には、きっとそのお墓に葬られた他のクリスチャンたちと共に甦り、完成したキリストの王国に迎え入れられるものと確信いたします。
それでは、きょうのお話に出てきた童謡「赤い靴」をご一緒に聞きましょう。