キリストへの時間 2004年10月24日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

泥谷 逸郎(山田教会牧師)

泥谷逸郎(山田教会牧師)

メッセージ: 人は皆、神に立ち帰らなければならない

 おはようございます。山田教会牧師 泥谷逸郎です。

 今朝、私は神さまの御言葉である聖書から、人は皆、例外なく神さまに立ち帰って救いをいただかなければならない、という神さまの御言葉をお伝えしたいと思います。神さまは、私たち人間は一人残らずみな、自分の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストを信じて、罪を赦され、救われなければならないと教えてくださっています。聖書を通して、神さまは私たち人間の非常に邪悪な状態を次のように言っておられます。それは、本当です。鏡を見るとき、自分の顔の状態が良く分かるように、聖書という鏡を通して自分を見るとき、本当の自分の状態が分かります。それは次のような状態です。

 「正しい人は一人もいない。罪のない人は世界中に一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人は、かつて一人もいない。そうしたいと心から願った人さえいない」という状態です。また、「すべての人が道を踏みはずし、みな、まちがった方向に進んで行った。正しいことをずっと行なってきた人は、どこにもいない」状態です。さらに畳み掛けるように神さまは言われます。すべての人の「会話は、不潔で腐っており、まるで開いた墓穴からもれる悪臭のようだ。彼らの舌はうそで固められている。彼らのことばには、恐ろしい毒蛇のきばと毒がある。彼らの口は、のろいと苦々しいことばで満ちている。彼らは自分と意見の合わない人を憎み、すぐに殺す。彼らの行く所はどこでも、悲惨な結果とめんどうな問題があとをたたない」と。これは今日、私たちが日常の生活の中で経験する恐ろしい状態ではありませんか。意見が合わない人を憎む憎しみは、すぐに殺す殺人に至る状態とは、とても正常とは言えませんね。大いに狂っている状態です。従って、「彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、神の祝福を味わったこともない。彼らは、神のことなど、どうでもよく、自分たちに対する神の思いなどは、少しも気にかけない」と言われているのは本当です。お互いに心に平安がないので、すぐに争いとなり、挙げ句のはてには殺しとなってしまいます。キリストを通して天の神さまから神の平安を頂かない限りは、長続きのする平安と安らぎを味わうことはできません。

 以上のような不義と不潔と不信の状態が続いているとどういう結果を招くことになると想像されますか。そのような人生の結末は神の怒りを受けて、神さまの裁きに直面すると言われます。それでは、このような恐ろしい結末を免れるために、どうしたらよいと神さまは教えてくださっているのでしょうか。それは、善人になるとか、神さまのおきてを守ろうと努力することではありません。神さまは、裁きを免れるためにそうではない、別の道を教えてくださっています。それは、もしイエス・キリストを信じきるなら、神さまが受け入れ、罪や不義や不潔のない者と宣言してくださるということです。神さまは、どんな人間であろうとも、キリストを信じきるなら、救われるという道を用意してくださっています。私たちは皆罪を犯しました。従って、神さまが求められる標準にはほど遠い者です。けれども、もし私たちがキリスト・イエスを信じるなら、神さまは私たちを「罪のない者」と認め、そのように全天全地に向かって宣言してくださいます。キリストを信じるとき、キリストが恵みによって、無償で私たちの罪を帳消しにしてくださるからです。こういうわけですから、神さまと人々に対して自分が犯した不義と罪をキリストの前に告白し、神さまに赦していただこうではありませんか。この赦しと救いこそがキリストの喜ばしい知らせ、福音と言われることなのです。

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