いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
今週は、イエス・キリストにより終りの時代がはじまったと教えている聖書の意味について考えています。
聖書は、ローマの信徒への手紙6章23節で「罪の支払う報酬は死です。」と書いています。この死は、特別な死です。生きているものは、猫や犬でも死ぬのであって、死ぬことは自然なことであると考えていないでしょうか。
しかし、聖書は、罪の支払う報酬としての死、すなわち罪に対する刑罰としての死があることを教えています。
それは本当か、その証拠は何か、と聞きたくなる方もおられるでしょう。その証拠とは、キリストの十字架の死です。キリストは、人々から尊敬され、慕われていました。けれども、宗教的指導者のねたみのために逮捕され、ローマの役人に引き渡されて処刑されました。しかし、この理不尽な出来事の背後に、神のご計画と意志とがあったことを聖書は明らかにしています。
神は、わたしたちの罪に対する身代りとして、キリストを十字架において罰した。これが、十字架の出来事の意味です。ですから、十字架の出来事は、事実としてはイエスを罰したのですが、罰した本当の相手はわたしたちなのです。キリストの十字架は、神がわたしたちを罪人と見ておられることの明かな証拠です。
聖書は、世の終りに神が罪人を裁くことを教えています。その裁きとは、十字架のキリストに一度起ったのであり、それがすべての人に起こるということです。
キリストを知ると、世の終りに起ることが分かります。それで、今は終わりの時代である、そう聖書は教えるのです。