いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
今週は、イエス・キリストにより終りの時代がはじまったと教えている聖書の意味について考えています。
世の終りには、神の裁きと救いの両方が完全に実現することを聖書は教えています。裁きとは、キリストの十字架において起ったことが、悔い改めない者に起こることです。
では、救いとは何でしょうか。キリストの復活と同じことが、キリストを信じ、キリストにあって生涯を終えた者に起こることです。これが世の終りに起こります。
イエス・キリストは、十字架にお掛かりになった後、三日目の朝に、墓の中から復活されました。この復活は、ただイエスという1人の人が復活したというだけではありません。永遠の命そのものがイエス・キリストにおいて、この世に実現したということです。そして、イエス・キリストを罪からの救い主と信じる者は、信仰によってキリストと結びつき、この復活の命そのものにあずかります。
もちろん、今地上でキリストを信じても、なお罪人であり、輝かしい復活のキリストと比べるなら、かけ離れた存在です。けれども、世の終りに救いが完成する時、わたしたちは、復活のキリストと同じ姿に変えられます。
それゆえ、キリストの復活は、世の終りに約束されている救いがこの地上において一度起こった出来事なのです。
イエス様自身、十字架にお掛かりになる前に、「わたしは復活であり、命である」(ヨハネ福音書11:25)と語っておられました。このみ言葉のとおり、イエス・キリストは永遠の命そのものです。世の終りに与えられる永遠の命が現れたことにより、聖書は、今を終わりの時代と呼びます。