ご機嫌いかがですか。横浜教会の牧師、林 豊彦です。
主イエスは、マタイによる福音書5章の冒頭で、次のようにいわれました。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
これは、有名な「幸いなるかな」と呼びかけられた「至福の教え」です。
幸福は、英語でハッピーですが、その語源はハップンから来ていると言われます。それは、「偶然の予期せぬ出来事」を意味しています。ですから、人の幸福とは、偶然と変化に左右されるものでもあります。
しかし、聖書が示す幸福は、神にあって祝福を受けることです。この世の幸福は、きたりて、また去っていく、はかなさを内に秘めています。つまり運勢が変わった時に、健康が失われたときに、計画が失敗したときに、希望が叶えられなかったときに、あるいは、災いに見舞われて一切の物が失われるときに、幸福の空しさを知らされます。
しかし、聖書が指し示している「幸い」は、深い静かな喜びを神によって内に起こされるものです。苦痛の中にも喜びがあり、悲しみや、損失や、痛みを経験する中でも、消すことができない喜びがあるということです。
そして、これは、主イエス・キリストと共に歩む者が持つ喜びなのです。