ご機嫌いかがですか。横浜教会の牧師、林 豊彦です。
主イエスは、山上の説教で、「こころの貧しい人々は、さいわいである。」といわれます。しかし、この言葉は、私達を困惑させます。
しかも、この「貧しい」の言葉には、「うずくまる」とか、「無一物」を表わす言葉が使われています。
しかし、主イエスは、単に経済的な意味での貧しさを言っていません。まして、食物にこと欠く人たちや、悪条件の下で健康を害している人たちの状態に対して「さいわい」であると、言われたのではありません。
むしろ、そうした貧困は、共に力を合わせて取り去るべきものです。
祝福される「貧しさ」とは、「心の貧しさ」のことです。
私たちが、生きていくうえで、自分の中に、依り頼むものが何もない、ことを謙虚に認める心です。あるいは、自分自身を助けることが出来ない自分であることを認める人のことです。その様な自らの貧しさを痛感する人こそ、幸いなのです。その心をもって、主イエス・キリストに聞き従って行く時に、天の御国は開かれるのです。
自分の事は、自分ですると言う人は、誰の助けも要らないし、神の助けを呼び求めることもないでしょう。しかし、自らの貧しさを知る人は、神を呼び求めることが出来るのです。そのような心の砕けた謙遜な人に、神は、望みと助けを与えてくださるのです。