ご機嫌いかがですか。横浜教会の牧師、林 豊彦です。
「悲しみ」と言ったテーマよりも、希望とか喜びといった、明るいお話しをするほうが好まれることでしょう。
しかし、私達の現実は、ただ明るいことばかりではありません。
失うこと、別れる事、自分に失望し、自らの惨めさを味わうことがあります。私たちの人生の中で、悲しみの経験は、避けることの出来ない現実なのです。
こうした、私たちに、主イエスは、「悲しむ人々は、幸いである」と言われます。なぜなら、「その人たちは、慰められる」からです。
人が慰めを受けることは、魂の最も深いところの経験であり、清い感動を受けることでもあります。悲しみの無い人は、この感動を受けることも、味わうことも出来ません。
私達の悲しみを担い、まことの慰めを与えてくださるお方が主イエス・キリストです。旧約聖書の預言者は、イエス・キリストのことを、「彼は侮られ、人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。まことに彼は、我々の病を負い、我々の悲しみをになった」と預言しました。
世の苦しみと自分の事で深く嘆く人は、その悲しみを通して、人のまことの情けと、神を知る機会となるのです。