皆さんお元気にお過ごしですか。東洋宣教教会の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
あるとき私は、一つの教会で開かれた集会に出かけるために夜出かけていきました。その教会は大分田舎の駅にあったのですが、電車を降りるとその教会まで田んぼの中を約20分ほど歩かなければなりませんでした。しかし夜道ではありましたが、遠くの方にその教会の十字架が輝いておりましたので道を迷わずに真っ直ぐに歩く事ができ、予定通りに着くことができました。
ところが帰り道は大変でした。今度は何の目印もありません。十字架を背にして真っ暗な田んぼの道を歩かなければなりませんでしたので、すっかり道に迷ってしまって、駅に着くのに1時間近くかかってしまいました。
このようにただ道に迷うならまだしも、私達は人生の道に迷ってしまうことがあります。そんなときに私達はどのようにすれば良いのでしょうか。
それは、十字架を見上げることです。私達のために十字架にかかって下さったイエスキリストを信じて歩んでいくことです。私達の人生80年29,200日結局どなたとご一緒するかということです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
十字架でイエスはあなたの罪のために死に三日目に甦って下さり、信じるあなたに永遠の命を与えてくださいました。あなたも、十字架のイエスを見上げて、永遠の命の道を歩んで行って下さい。それではまた御機嫌よう。