おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第32編の言葉です。
「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。」
聖書の世界には、独特の思想世界があります。その一つに「罪を赦される幸い」という世界があります。そもそも、聖書のいう「罪」というのは特殊な概念です。世間一般では、よほどのことがない限り、「罪人」呼ばわりされることはありません。しかし、聖書の世界では、よほどのことがない限り、人はみな罪人なのです。しかも、良心的で清い生き方を願う人ほど、その事実を自分のこととして実感するのです。
聖書が問題にしている「罪」とは、神とのねじれた関係です。またそのねじれた関係から生じる様々な具体的な悪です。それを人間が解決しようとしても出来ないほどの深みです。唯一人間にできることは、ただ神の前に罪を認めて告白し、赦しを願うことだけです。そうであればこそ、聖書の世界では罪赦されることは「幸い」なのです。
この詩編の作者は、人々にこう呼びかけます。
「分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。」
罪赦される幸いを知らない生き方は、分別のない馬やらばのようないき方にも等しいのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。