お元気ですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。聖書の中にこんな言葉があります。
「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」
昔、一人のお金持ちの青年がイエス・キリストのところにやってきて言いました。「先生、どうすれば永遠の命を得ることができるのでしょう」。聖書の戒めを小さいときから全部守っていると言うこの青年に、イエス・キリストはおっしゃいました。「持っているものを全部売り払って、貧しい人々施しなさい」。
けれども聖書は、たとえ全財産を貧しい人のために使い果たしたとしても、愛が無ければ何の益も無いと断言します。そもそも施しとは愛の業であるはずです。施しに愛が無ければただの自己満足です。どんな自己犠牲も、そこに愛が無ければ他人への恩の押し売りになってしまうのです。
あのイエスのもとを訪ねてきた青年には神の戒めを完璧に守ってきたと言う自負心があったかも知れません。しかし、その神の戒めが他人への愛を求めていることをすっかり忘れていたのでしょう。わたしたちの行いは、愛によってこそ正しく量ることができるのです。
きょうのみ言葉・・・「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」
コリントの信徒への手紙1 13章3節