キリストへの時間 2006年1月8日放送    キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「自由」

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 「自由」という言葉はわたしの好きな言葉です。何からも束縛されずに自由に生きていけたら、どんなに素晴らしいことかと思います。この「自由」という言葉に初めて目覚めたのは、中学に入った頃だったと思います。中学校にはたくさんの決まりがあって、それをいちいち守らなければならないと思うと、ほんとうに窮屈な中学生生活でした。そんな窮屈さから逃れてもっと自由に生きたいと、そのとき初めて「自由」ということを考え始めたのです。

 さて、それから何十年もたった今、中学校の校則のように細々とした規則によって縛られることはなくなりました。しかし、あのときから比べて本当に自分が自由に生きているのかというと、そうでもないような気もします。もちろん、守らなければいけない決まりが、どの世界にもあることは当たり前のことです。あの時のように、それを窮屈だとはそれほど感じられなくなりました。また、決められた時間内に決められた仕事をこなすことも、窮屈で退屈で不自由なこととは少しも思いません。そういう意味ではあの時の自分からずっと成長したと思います。そして、ずっと自由に生きていると思います。

 しかし、今自分が本当に自由であるのかということを考えてみると、あの時と大して変わらない部分もあります。いえ、これは人間が生涯をかけて勝ち取っていく自由なのかもしれません。

 イエス・キリストはおっしゃいました。

 「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」

 この言葉を聞いて憤ったのはユダヤ人たちでした。

 「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」

 もっともイエスの言葉を聞いて鼻息を荒くするのはユダヤ人ばかりではないかもしれません。わたしたちも誰かがわたしたちに向かって、「あなたたちを自由にする」などと言おうものなら、自分のプライドが許さないでしょう。そう、多くの人は、たとえお金や時間が自由にならないとしても、少なくとも自分の心は最も自由だと考えています。自由にものを考え、自由にものを決めることができると、そう考えているのです。

 ところが、イエス・キリストのお答えはこういうものでした。

 「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。」

 人間にとって一番危ういのは、体の束縛でもなければ、時間の束縛でもないのです。人間の行動を司る意志や心そのものが一番危ういことをイエス・キリストは指摘してくださっているのです。自分の心は誰からも束縛されない自由だといいながら、悪い考えに染まってしまう心は、やはり自由とはいえません。迷信や縁起に縛られて、恐れや不安を感じる心も決して自由ではありません。時代や状況にもっとも左右されてしまうのも心です。その結果、聖書の神の御心さえもわからなくなってしまうのも心です。人間にとって心ほど自由と思われながら、実は、もっとも罪の影響を受けている場所なのです。だからこそイエス・キリストは「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」とおっしゃったのです。

 キリストはこの罪に束縛されたわたしたちを解放するためにこの世に来てくださいました。キリストが解き明かす真理によってこそ、人は最も自由なものとされ、自由に生きることができるように変えられていくのです。

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