教会の牧師館に住んでいると、急な見知らぬ方からの電話もよく入ります。その日の朝も突然でした。夫の声が急に深刻になり、気になってすぐ事情を聞きました。近くに住む方が、妻を亡くし、仏式の葬儀の準備を始めたところで「私は洗礼を受けたのでキリスト教の葬儀に」という遺言がわかったという相談でした。50代半ば過ぎの女性。息子さんはまだ勉強中。入院して1ヶ月、アッという間に亡くなられたのです。
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時・・・」(コヘレト3:1-2)。洗礼を受けられたのはミッションスクール時代、毎週2回の礼拝が学校であったそうです。ご遺族も故人のお気持ちを大切にされたのです。
私たちの毎日は、「人間が死ぬ」という現実とかけ離れているような錯覚を持ちます。楽しく明るく遊び、仕事にも励み、美味しいものをいただき元気に暮らすという生きる喜びはもちろんありますが、やがて全ての人間に死は訪れます。突然の葬儀に出席し、賛美歌を歌いつつ、列席者は皆、最後の審判で一人一人、神様の前に立つ予行演習をしていただいているようでした。
以前、「デッドマンウオ−キング」という映画を見ましたが、殺人の罪を犯した死刑囚が最後の時、牧師が読んでくれる詩編23編を聞きながら死刑場に歩いていく場面が印象的でした。「死の陰の谷を行く時も、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(23:4)。全ての人間は、デッドマンウオ−キングをしているのですが、いのちがあまりに軽く考えられて悲しいですね。「死ねー!」と平気で叫ぶ子ども達がいます。突然の出来事の中で、生きること死ぬことを真剣にみつめたひとときでした。共にいてくださる神様に祈りながらあなたも生きてくださいね。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。」(詩編90:12)くまだなみこ