おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今朝は旧約聖書詩編の第97編2節の言葉です。
「密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ 正しい裁きが王座の基をなす。」
この詩編も「主こそ王」という言葉で始まっています。そこに描かれる王は正義をもって全地を裁き治められるお方です。
素朴に考えて、神が正義でないとしたら、いったいどこに希望があるでしょうか。人間の正しさを信じてそこにすべてを委ねて生きることができるでしょうか。いえ、人間は自分たちの正義が当てにならないことを漠然と知っているはずです。
例えば、戦争が起ったとき、誰もが自分たちが正しいと主張します。もちろん、そう思わなければそもそも戦う意欲など起ってきません。どちらの側も自分たちの正義を主張してやみません。しかしどちらも正しいと言うことはまずありえません。正義と正義がぶつかり合う戦争で痛い目に遭うのは結局人間自身です。人間の正義とは結局そんなものです。
この苦しみの中で神さえも正義ではないとしたら、どうでしょう。それは生きていくことも耐えがたい空しい世界です。幸い聖書はまことの神が正義を基とされるお方であることをはっきりと証ししています。神が正義を実現してくださるところにまことの希望があるのです。
それではきょうもあなたの上に主の平安が豊かにありますように。