いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。マタイによる福音書10章38節からです。
「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
「十字架を背負う」というと、取り返しのつかない過去や重過ぎるハンディーを背負って生きることを差すことが多いようです。しかし、聖書で「自分の十字架を背負う」と言われているのは、過去やハンディーを背負って苦しみながら生きていくことではありません。十字架とは、言うまでもなく、キリストが私たちの罪の身代わりとして架けられて死なれた、あの十字架のことです。つまり、十字架を背負うとは、自分の罪に気づいて、キリストの身代わりの十字架に感謝して生きていくことです。
キリストが「わたしにふさわしい」とおっしゃられたのは、頑張る人でも良いことをする人でも、心のきれいな人のことでもありません。自分の罪深さを正直に認め、心から悲しみ、今までの自分をすべて捨てても新しい自分になりたいと真剣に願う者のことです。そして、イエス・キリストは、そのように自分の十字架を背負う者に、罪の赦しと新しい命をお与えくださいます。
あなたも新しい自分になって、心に後ろめたさのない晴れ晴れとした生き方をしては、いかがでしょうか。