いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
キリスト教信仰の中心、あるいは核心は、イエス・キリストの死と復活です。
十字架につけられる前、イエス様自身、弟子たちに対し、エルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちによって捕らえられ、殺され、三日目に復活することをたびたび語っておられました。
では、ことが起こり、十字架につけられて死に、三日目に復活したとき、イエス様の言葉どおりだったと知って喜んだかというと、そうではありません。実際はまったく逆でした。
新約聖書マルコによる福音書の第16章を読むと、復活の朝、婦人たちが空の墓を発見します。そして、墓穴の中で若者、すなわちみ使いからキリストの復活を告げられます。すると、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」とあり、ここでマルコ福音書は終わっています。
聖書は大変正直に書いてあると思いませんか。空の墓穴の中で、三日前に目の前で死んで葬られたはずの先生が復活したと告げられたなら、動揺して恐れない人はいないと思います。
では、キリストが復活したとする復活信仰はどこから生まれたのでしょうか。唯一の答えは、復活なさったイエス・キリストが弟子たちの前に実際に現れたということです。そして、ご自分と神の国についてお教えになりました。この事実と復活信仰によって教会が誕生しました。どうか教会に行き、キリストの復活とその意味を知ってください。