おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。
聖書によると、神様は、人間を男性と女性に作られた…と教えています。私たちは今日最初に、神様はどうして、人間を男性と女性に作られたのか…ということを少し考えてみたいと思います。
聖書によると男性と女性は、人間の尊厳としては同質・同等ですが、もう一方で男性、女性固有の、それぞれの違いがある…と教えられています。
少し思いめぐらせてみてください。確かに人には「男性にしかできないこと」と「女性にしかできないこと」があります。
例えば男性は一般的に、大変強い筋力や力が備わっています。100メートル走では、どんなに訓練を積んだ女性でも、どうしても男性にはかないません。逆に、どうしても女性にしかできないこともあります。それは、大切な宝物である命を宿らせること、大切な宝物である命を宿らせ、それを育むことです。これは、どんなに男性が努力しても、全身全霊を傾けて努めても、どうしてもできないことです。
これらは何を意味するのでしょうか?男性も女性も、私たち一人一人は万能ではない、ということ、私たち一人一人には、できることと、できないことがあるということを意味しています。この、自分にはできることとできないことがある!ということを知ること…、これは、とても大切なことではないか…と思います。なぜなら、そのことを知るとき、私たちは人生において初めて謙遜になり、分をわきまえたもの…となることができるからです。
聖書はこれ以外にも、いろいろなところで、私たちにできることと、できないことがあることを教えています。私たちは、それらのことを瞑想する時、一層謙遜にさせられるのではないか…と思います。
例えば、私たちはおそらく、けさも、食卓を囲んで、食事をされることと思います。食卓に並んだ、コップ一杯の水…、これは、誰が作り出したものでしょうか?私たちでしょうか?これは、私たちが一生懸命努力し、心血を注いで努力し、生み出したものでしょうか?どうでしょうか?人には、どんなに努力し、心血を注いでも、できないことがあるのです。
また、けさも大空には太陽が昇っています。この全地を照らし、世界に命を与える太陽を、誰がのぼらせているのでしょうか?私たちでしょうか?この世界には、私たちがどんなに一生懸命努力し、心血を注いで努力しても、できないことがあるのです。
人にはできることと、できないことがある…。先にも語ったように、このことを知ることは大切なことだ…と思います。なぜなら人は、自分にできないことがあるのを知るとき、人生において謙遜になり、分をわきまえたものとなることができるからです。
そしてまた、人が自分にできないことがあるのを知るとき、人は初めて無限の存在に心の目を向けるようになり、自分を超えた存在に心の目を向けるようになるのだ…と思います。無限であり、自分を超えた存在に、心の目を向けることができる人は幸いです。