おはようございます。上福岡教会の門脇です。
私は仙台での6年間の学生生活を終え、埼玉県で高校の教員として就職しました。最初の任地は、埼玉県西部の定時制高校でした。神様はそこでも大切な出会いを私に用意されておられました。
教員となって2年目に、私は初めてクラスを担任することになりました。その定時制高校は1学年1学級の小規模な高校で私は新入生である1年のクラス担任となりました。当時の定時制は様々な境遇にある生徒が来ておりまして、私のクラスにも、経済的事情のため全日制の高校に行けずに来た子ども、全日制を受験したけれども不合格で二次募集で来た子ども、岩手県の中学校を卒業してこちらの工場に就職し昼間働いた後学校にきている子どもなどいろいろな事情を持つ生徒ばかりでありました。
その新入生の中に私よりずっと年長の生徒がおりました。佐藤さんと言う方でしたが、入学当時40歳台半ばであったと思います。非常に物静かでほとんどしゃべらない方でしたが、明らかに年がいっているのでどうしても目立ってしまいます。
あるとき、私はずっと疑問に思っていたことを佐藤さんにお尋ねしました。それは、40歳台半ばに定時制高校に入学しようと思った理由です。佐藤さんは岩手県の中学を卒業した後上京し、様々な職業を経た後、草木の販売業を営んでいました。が、言うなればアルコール依存症になってしまい、どうしても昼間から酒を飲んでしまうようになっていたそうです。自分でもこの状態を何とかしたいと思い、夜学校があるならば、昼間に酒を飲むことを止められるのではないかと思い、定時制高校に入学したそうです。予想外の理由にびっくりしましたが、学校に通うことで改善するならそれに越した事はないわけですから、ぜひ頑張ってくださいと励ましたものです。ところが、2年目3年目になると我慢できずに昼間酒を飲んでしまって、学校を欠席したり、酒のにおいをぷんぷんさせて登校することがしばしばとなってきました。そこで、昼間に佐藤さんが酒を飲んでしまうことの無いようにと、午前中から佐藤さんと私で、学校周辺の野山を巡っての山菜採りを始めました。私は生物の教員でしたが、植物に関しては佐藤さんのほうが知識豊富な先生で、私が教えを請う生徒でした。ですから、この山菜採りは私にとっても有意義な時間となりました。佐藤さんは完全に昼間の飲酒を克服できたわけではありませんでしたが、どうにか学校生活を続けることができまして、クラスの中でも年長者としてリーダーシップを発揮するようになり、最終学年では生徒会長として、卒業式で卒業生代表として挨拶を述べられました。
今私の手許には、入学式直後に撮影した白黒の集合写真があります。そこには、佐藤さんを始め、様々な境遇がその表情やしぐさに現れている生徒の姿があります。多くの生徒は自分が背負うには大変な重荷を持っていましたが、なお高校の学業を全うしたいという希望をもって入学してきました。私は、佐藤さんを始め多くの生徒に、重荷を負って生きることの大変さと希望を持ちつづけることの大切さを教えられました。今でも、写真の中の彼らから励まされる思いがいたします。
生徒たちは、学業を全うし卒業したいという願いと希望をもって苦しさを乗り越えていきました。人生のどのような危機の中でも希望を失うことなく保つ事ができることは誰にとっても大切なことではないでしょうか。
私と世界の希望は、私と世界がすでに救い主イエス様によって救われているというところにあります。それは聖書が私たちに語っているメッセージです。それは、あらゆる苦難や危機の中でも失われない希望です。