いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
マタイ福音書7章3節以下でイエス様は、次のようにおっしゃいました。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」。
これは、人の欠点に厳しくても自分自身に甘いわたしたちに対するイエス様の厳しい指摘です。丸太とは、家を建てるための材木、おが屑とは、のこぎりでひいたときに出る木屑です。おもしろいのは、目におが屑が入ったので取ってくださいとお願いされたので取ってあげますというのではないことです。本人が気づいていない目の中の小さな小さな屑を発見して、取ってあげます、取らせてくださいと言っているのです。しかも、自分の目には丸太が刺さっているのにそれが分かっていないのです。
私たちは他人の欠点はよく分かるが、自分の過ちについては気づかないものです。これは、神様の目から見ると、自分の目に丸太が刺さっているのも分からないで、人の目にある小さなチリを取らせてくださいとお願いしているのと同じであるというのです。これが本当なら、こっけいな話しではなく、哀れで悲惨な姿です。
どうか聖書を読み、神が見ておられるわたしたちの姿を知り、この悲惨から救ってくださるイエス・キリストを救い主と信じてください。