お元気にお過ごしですか。いずみ教会の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
最近、昨年のカルビン大学の卒業式で講演をされた、クリスチャンジャーナリスト、フィリップ・ヤンシー氏の、「この驚くべき恵み」(いのちのことば社 2008)という本を読みました。
この本のテーマは、「アメイジング・グレース」、(この驚くばかりの恵み)です。この本の中で、ヤンシー氏は、「神の不愉快な数学」という、大変ユニークなことを言っておられます(P67)。
確かに神が人間にもたらされる恵みは、人間の限られた知性でははかり知ることができないものばかりです。
例えば、99匹の羊を残して、1匹を探しに暗闇に出ていく羊飼い(ルカ15:3-7)。葡萄園で1時間働いた者と、12時間働いた者の賃金が同じであったということ(マタイ20:1-16)。十字架にかかった強盗も、人殺しであったパウロもみんな同じ天国に今いるということ。
その極めつけは、イエス様の十字架です。本来ならば、一方的に滅ぼされても仕方がない人間のために、神がその独り子を十字架で裁かれて、神の方から私たちに和解をもたらしてくださった。
聖書は次のように語ります。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)。
これこそが神の不愉快な数学、私たち人間の知性では到底はかり知ることの出来ない恵みです。
どうかあなたもこのイエス様の十字架の恵み、この恵みを信じて、罪赦されて、永遠の命の恵みの中を歩んで下さい。そして、祝福に満ちた人生を歩まれますように心からお祈りしています。それではまた御機嫌よう。