熊田なみ子のほほえみトーク 2011年5月17日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

私ではなくあなたが…

 東日本大震災の中、日本中の人々が温かく繋がる手を差し伸べて生きています。困難が厳しければ厳しいほど、悲しみが深ければ深いほど、何とか繋がって今日だけとにかく生きようという気持ちになります。遠い将来はよくわからないけれど、とにかく生きていこうというのが人生ですね。真っ暗なのは夜明けが近いからとよく言われますが…。

 先週の「一日の始めに」という祈りの言葉と共に心に響くもう一つの言葉。それは「なぜ?わたしではなくあなたが?」という言葉。実はこの言葉も有名な一遍の詩です。
 私の本棚に、みすず書房から出版された「うつわの歌」という本があります(神谷美恵子詩編他)。天からの恵みの雨が空っぽの器に降り注ぐ、という詩が私は大好きで、ご遺族から許可をいただき番組で朗読させていただいたこともありました。

 その本の最初にある詩編(1943年・夏)。数えてみたらなんと68年も前の作品なのです。これ以上の苦しみはないであろうと言われる絶望的な病の中に伏す人の側に佇み「何故わたしたちではなくあなたが?あなたは代わってくださったのだ。代わって人としてあらゆるものを奪われ、地獄の責苦を悩みぬいてくださったのだ。」と作者は語るのです。

 今日という命の時間を生きている私たちも、この大震災での出来事の中にこの詩編と同じような想いを持つことがたくさんあったのではないでしょうか?次々と起こり来る人々のあらゆる苦難を目の当たりしながら中「なぜ?私ではなくあなたが?」と。

 そして、この言葉と共に、私の中では、イエスさまの十字架の苦しみがここに重なって来るのです。私たちを罪と悲惨の中から丸ごと救い出そうとして、人となって降りてきてくださった救い主のイエスさまの姿、謙遜の限りを尽くしてくださった僕の姿です。
 ここで聖書のみことばをご紹介しましょう。新約聖書フィリピの信徒への手紙2章6節から8節です。

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

 実はここに確かな希望があると聖書は私たちに語りかけているのです。全く罪のないお方が罪人の身代わりとなり、へりくだって十字架の苦しみ道へと進んでくださり、私たちが受けるべき神様の怒りと裁きの生贄となってくださったと。十字架の上に屠られた子羊となられたキリスト。そしてこの救い主は、死から復活する前に既に「私は復活であり命である。私を信じるものは、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)と力強く語ってくださっていたからです。

 これからも「なぜ?私にではなくあなたが?」と思うことや、「なぜ?あなたにではなく私に?」と自分自身がまさに死の陰の谷を歩むような時もあるかもしれません。病気、天災、事故、どんな状況にあっても、私たちにはイエス・キリストの救いがある、確かな希望の福音が備えられていることを忘れないで今日もご一緒に生きていきましょう。  くまだなみこ

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