ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
こんなお話を聞いたことがあります。あるとき、教会の近所に住む農家の婦人が自分の畑でとれたたくさんの野菜を教会に持って来られて、
「よかったら、これをご本尊さまにお供えしてください」
と言うのです。こう言われてその教会の牧師は困ってしまいました。なぜならば、教会の礼拝堂に一度でも行ったことがある方は分かると思うんですが、わたし達の教会の礼拝堂にはご本尊さまと言ったものは置いていないからです。
その代わりにたぶんほとんどの教会の礼拝堂の中心には、牧師が礼拝で聖書のお話をするための場所、「講壇」が置かれているのです。実はこれには大切な意味があります。なぜなら、わたし達の信じる神様はご自身の本当の姿を聖書の言葉を通して表してくださるからです。毎週の教会の礼拝では、牧師がこの講壇から聖書の言葉を語ります。そして、神様はそれを聞く一人一人の魂に直接働きかけて、わたし達を救ってくださる方なのです。だから、教会には人が作った像や、そのたぐいのご本尊さまは必要ないのです。
もしあなたが神様を知りたいと思うなら、また神様にお会いしたいと考えているなら、是非、わたし達の教会の礼拝に出席されて、教会の講壇から語られる聖書の言葉に耳を傾けてほしいのです。
聖書の言葉
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」コリントの信徒への手紙第一1章18節