いかがお過ごしでいらっしゃいますか。せんげん台教会の浅野正紀です。今日も聖書の教えに共に耳を傾けましょう。
わたしたちの救い主、イエス・キリストの十字架の死には、どのような意味があったのでしょうか。
使徒パウロは、コロサイの信徒への手紙1章19節から20節で、次のように語っています。「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」
主イエスは、十字架につけられることで、犯罪人の一人のようにされました。主イエスの十字架は、神の前での徹底的なへりくだりを現わしていました。また、主イエスの十字架は、わたしたちを救いに導く神の力でした。
そして、主イエスが十字架につけられ血を流されたことで、神様とわたしたちとの和解がなされました。こうして、わたしたちに本当の平和がもたらされました。わたしたちは、まだ罪が残っているにもかかわらず、神の子イエス・キリストの十字架の死によって、罪の赦しを得ることができました。
わたしたちは、主イエスの十字架の死のゆえに、神の前できずのない最高のささげものとして受け入れられています。主イエス・キリストの十字架の死は、神様とわたしたちの和解と平和のしるしです。