ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
今から35年ほど前、わたしが教会に通い始めたころ、わたしは日曜日の礼拝が自分の信仰生活にとってどんなに大切であるかを十分に理解することができませんでした。
最初の頃、わたしは日曜日の礼拝よりも他の行事や自分の都合を優先して、礼拝を休むことが多かったのです。休んでも礼拝で語られるお話くらいは家で、録音テープを聞けばよいと考えたわたしは、教会の牧師先生に「日曜日の礼拝の録音テープを聴かせてください」とお願いしたことがありました。するとその牧師先生は「それなら、ちょうどいい。これから毎週の礼拝をテープに録音する係を櫻井君やってくれない」と逆に頼まれてしまったのです。録音テープがあれば礼拝を休んでも大丈夫と考えていたわたしは、ここでその牧師の作戦に見事に引っかかってしまいました。おかげで、わたしは次の週から礼拝を録音するために毎週教会に休まず出席することになってしまったからです。
しかし、わたしの信仰がこの後、成長していったのは、この礼拝に毎週出席することができるようになったからだと思います。確かに聖書のお話をきくだけなら家で、一人でもできます。しかし、わたしたちの信仰生活は毎週の教会の礼拝に出席することを通して成長することができるのです。
聖書の言葉「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」エフェソの信徒への手紙1章23節です。