ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
わたしは高校生のときに教会に通うようになりました。教会に行く前は、キリスト教というのは、様々な掟に一生懸命従いながら立派な生活をしていく、そんなイメージを持っていました。プロテスタント教会よりもカトリック教会の方が厳しいなどといううわさを聞いて、どうせなら厳しい方のカトリック教会に行こうか、などと思ったものです。
教会に通うようになっても、そのイメージは変わりませんでした。それで、とにかく教会で教えられることに、自分の力で一生懸命従おうと努力していました。しかも、自分はそこそこできていると誤解していました。けれども、教会生活を続けていくうちに、いくら努力しても清くなれない自分の姿に、だんだんいらいらし始めました。その挙句に、大きな失敗もしてしまい、自分は地獄行きなのではないかとさえ思い始めました。
しかし、神様はそんなわたしに信仰の先輩の「ひと言」を通して、救いを教えてくださいました。それは「イエス・キリストがない。」というひと言でした。キリスト教を信じていたつもりなのに、イエス・キリストをそっちのけにして、一切自分の力でやろうとしていたわけです。何のために、イエス・キリストが世に来てくださったのか、何のためにイエス・キリストは十字架におかかりになったのか。自分の力で清くなれないわたしを救うためであったのだと、悟らされました。キリスト教は恵みの宗教だとそのとき本当に分りました。(ローマの信徒への手紙3章23節)「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」