ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
わたしは高校生の時に教会に通い始めました。そのころは、確信をもって信仰深く歩むクリスチャンの姿にあこがれていました。そのようになるには、何か神様の存在や救いを体験する特別な事件や出来事が起こり、そういう経験を通して確信を持つようになるのだろうと思っていました。実際、そういう人もいます。しかし、わたしにはなかなかそんな特別な体験は与えられませんでした。
似たようなことを考えた人がいることを後で知らされました。19世紀のアメリカの有名なキリスト教の伝道者であった、ムーディという人です。彼は言っています。「信仰を求めて祈った。そしていつの日か信仰がいなずまのように落ちてきて、自分を打つであろうと考えた。」。ところがやはり彼にも、そんな特別な体験は与えられなかったようです。そんな時、彼は聖書の言葉を見つけます。ローマの信徒への手紙10章17節です。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」。それで、彼は言っています。「その時からわたしは聖書を開き学び始めた。そして信仰は日々成長しつづけている。」
神様は、御自身のことを示したり、信仰を伝えたり、あるいは信仰を成長させたりするために、人間の方でできることをちゃんと定めてくださいました。それが、聖書であり、祈りなのです。聖書を通し、祈りを通して、神様は御自分のことを示され、あるいは恵みを伝えてくださいます。聖書の学びや祈りが特になされているのが、教会です。特別な出来事がなくても、教会を通し、聖書の学びを通し、お祈りを通し、信仰は与えられ、また成長していくのです。