ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
わたしは高校生の時に教会に通うようになりました。教会で、主イエス・キリストを信じるなら救われると教えられました。それでわたしも主イエス・キリストを信じました。けれども、自分では信じているつもりでも、本当に救われるのかどうか、神様が自分のことを顧みてくださっているのかどうか、自信がなくなり、疑い始めてしまいました。
疑い始めると、悪い方向にばかり考えが行ってしまいます。結局自分は神様には顧みられていないのかなどと思い、教会に通っていても、暗い惨めな気持ちでした。しかし、新約聖書フィリピの信徒への手紙2章12節13節に、次のようにあるのを教えられました。「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
言ってみれば、教会に通うようになったのも、主イエス・キリストを信じるようになったのも、神様が働きかけてくださっているからだということです。いえ、自分は神様には顧みられていないのではないか、救われないのではないか、などと心配することさえ、神様がわたしの心に働きかけ、救いの必要性を教えてくださっているからだということになります。神様の働きかけがなければ、そんな心配さえしないで、救いのこともイエス様のことも考えずに、平気でいられるわけです。牧師となった今、「わたしは救われるでしょうか。神様に顧みられるでしょうか。」と心配して相談に来る人に言います。「そういうふうに心配する人は、神様の働きかけがあるから大丈夫です。救いを達成するように努めましょう。」