ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
わたしは高校生の時に教会に通うようになりました。教会に通いながら、いつか確信が与えられ、しっかりした信仰を持つ事ができるようになるだろうと思っていました。そうしたら、揺るがない信仰をもってしっかりと歩み続けることができると思っていました。しかし、そう単純ではありませんでした。信仰生活も、確信に満ちたときもあれば、動揺するときもあります。順調なときもあればスランプのときもあります。牧師になってからは、牧師という働きについてもやはり順調なときもあればスランプもあります。
実は、歴史に名を残すような有名な牧師やキリスト教の説教者も例外ではないということが分りました。有名なスポルジョンという牧師は言っています。「わたしは土曜日の夕方になると気が滅入った。昔の出来事が思い出され、自分の働きについて思わせられた。それに、過去の失敗への悔恨の思いもわいてきた。」。また、別の有名な牧師は、「もう牧師を続けていけないと思うほど打ちひしがれた時期がありました。」と告白しています。
けれども、そういう経験を通してこそ、神様の助けを経験し、成長もするし、あるいは同じような人に同情することもできるようになったということです。そういう経験を通して牧師の仕事も、また豊かになっていったようです。信仰生活も同じです。もちろん、いつも確信をもって揺るがない、という人もいることでしょう。けれども、なかなかそうはいかず、山あり谷あり、順調なときもあればスランプのようなときもあるというのが、少なくないと思います。そういうわたしたちを、神様の側は変わることなく愛し、導いてくださるのです。