お元気にお過ごしですか。筑波みことば教会の小堀です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
エリコという町にザアカイという徴税人がおりました。彼は、お金が全て、あこぎな取り立てで身を立てているような人でした。それでも彼は、何とか自分の人生を変えたかった。そこに噂で聞いた、日頃から様々な奇跡を行い、人々を愛して行かれた、しかも当時のユダヤ教の指導者達が相手にしない、遊女や罪人を受け入れて行かれた、あのイエスが、わが町、エリコに来られると分かったのです。もしかすると、自分のような者でも受け入れてもらえるかもしれない。愛してもらえるかもしれない。彼は身長が低かった。群集に遮られてイエス様を見ることができない。しかし、一目でもキリスト様を見ようと、彼は、いちじく桑の木に登って、イエス様が来られるのをじっと待っていました。そうしたら、イエス様の方から彼に目を留めて言われたのです。「『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」(ルカ19:5)。「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」(ルカ1:6)と聖書は言っています。
キリストの言葉には、赦しの響きがあったのです。キリストの、「ザアカイ降りて来なさい」この言葉の中に、「お前よくもまあ、あんなあこぎな取り立てをしたな。」、「お前よくも多くの人を苦しめて来たな」、「他の誰が赦しても、このキリストだけはお前を赦さないぞ!!」、「ザアカイちょっと降りて来なさい!!」、裁かれるような語気をちょっとでも感じたら、彼は大喜びで木から降りることはできなかったと思うんです。しかし、「ザアカイ降りて来なさい」、イエス様の言葉の中には、彼を責める思いはみじんもありませんでした。イエス様はザアカイのありのままを受け入れて彼を赦していかれたのです。
イエス様はあなたを愛しておられます。あなたを決して責めることなく、あなたに永遠の命を与えてくださるお方です。どうぞあなたもこの赦しの響きの中に生きてください。