いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
クリスマスの出来事で、不思議に思うことがあります。
一つはまだ結婚していないマリヤさんが赤ちゃんを産んだということです。届けを出していないだけで実際には結婚していたんだろう。いいえ、そうではありません。神様の力によっておとめがイエス様を産む。教会はイエス様の処女降誕、と言ってきました。
処女降誕も不思議ですが、マリヤさんが、神様からのお告げを受けた時に非常に素直に、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1:38)、と言っていることも不思議です。二千年も前の時代、しかも特に宗教的、道徳的な戒律の厳しいユダヤです。未婚の婦人が赤ちゃんを産む、そんなことは許される時代ではありませんでした。近所の評判が悪くなる、というようなことではありません。戒律によって死刑にもなりかねないのです。マリヤさんはその事が分かっていて、神様のなさることだからわたしは従います、と言っているのです。
マリヤさんの夫となるヨセフさんも同様です。結婚前にマリヤさんが身ごもっていることが分かったのですが、神様のお告げによってマリヤさんを守るために一緒になるのです。マリヤさんを愛していたでしょう、しかしそれだけでは説明できないことです。神様の御言葉にしたがっているのです。
そうです、不思議なのは、妻も夫も、おなかの赤ちゃんは神様の子供だと信じていることです。キリスト教の言い方をしますと、マリヤもヨセフも、そして何より聖書が、イエス様は神様の子供だ、と証ししているのです。