今日もお元気にお過ごしですか。持田浩次です。
もともと天におられた神の独り子イエス・キリストは、どうして人として生まれたのでしょうか。
それも、きれいな宮殿ではなく、きたない家畜小屋で生まれたのでしょうか。
家畜小屋は、子どもを生むためには、ふさわしくないところです。きたなくて、つめたくて、暗いところです。それはちょうど、わたしたち人間の心と同じです。
神様との関係をこわしてしまったわたしたち人間の心は、どの人の心も、きたなくて、つめたくて、暗くなってしまいました。
何か良いことをしようとしても、なかなかできませんが、人を押しのけたり、ずるくごまかそうとすると、とても簡単にできてしまいます。それほどにわたしたちの心はけがれてしまいました。
そういうわけで、人の心はちょうど家畜小屋のように、きたなくて、つめたくて、暗いのです。
だからこそ、イエス・キリストは、人を罪から救うために、家畜小屋で生まれたのです。
わたしたちの心がどんなにきたなくて、つめたくて、暗くても、クリスマスの日のように、その心の中にイエス様が来てくださって、明るく、きれいに、温かくしてくださるのです。
今日の聖書の言葉、イエス・キリストの言葉。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠のいのちを得るためである。」ヨハネによる福音書3章16節