おはようございます。高知教会の久保浩文です。
あなたは、旅行はお好きでしょうか。日本国内、国外を問わず、まだ行ったことのない未知の土地へ足を運ぶことは、ある種の胸の高鳴りと感動を覚えます。毎年のようにゴールデン・ウィークや年末年始になると、出発手続きを待つ大勢の人で埋まった空港の様子がニュースで映し出されます。最近は、格安航空会社が設立され、低価格の航空運賃の売り出しで、競争が激しくなっています。自分達のニーズに合わせて航空会社を選択し、以前に比べて気軽に家族で長期休暇を海外で過ごそうという方が増えてきました。
わたしが子供の頃、一人の女性が「世界の旅」に出て、様々な外国の様子を紹介する番組がありました。わたしも将来大人になったら行ってみたいな、と心躍らせてテレビを見ていたのを思い出します。彼女は約150の国を旅行されたそうです。彼女は後に、「世界の旅は、人生の学校でした」と述懐しています。海外旅行の利点の一つは、世界に目が開かれていくとともに、現地の人や、日本とは異なる文化に触れる事を通して改めて日本を、そして自分を見つめ直す目も開かれることです。
聖書には、アブラハムという人の話が出てきます。彼は人生も終盤に入った75歳という年齢になってから、栄光の神に出会い、「あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け」(使徒7:3)と言われて旅立ちました。行き先も知らずに、自分が長年住み慣れた土地や親しくしていた人間関係を捨てて出発したのです。彼は、神によって示されるままに旅を続け、他国に宿るようにして約束の地に住みました。「あなたの子孫にこの土地を与える」(創世記12:7)との神の約束を受けた時、彼も妻のサラも高齢で子を宿すことはできないと知りながら、神は約束したことを実現させる力もお持ちであると信じて疑わず、強い信仰をもって神を賛美したのです。そして、実際、神は約束通りに老夫妻の間に子どもをお与えになり、その子から、さらに空の星のように、海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
しかし、そこに至るまでの間、アブラハムとサラ夫妻には、様々な出来事がありました。人生は必ずしも順風満帆とはいきません。神の約束の実現を待ち望みつつ、日々の生活に於いて、先住民族との争いに巻き込まれたり、飢饉に見舞われて他国に難を逃れたりして、とても平穏無事な静かな老後の生活とは言い難い毎日でした。彼らにとって忍耐を強いられつつ希望を抱いてやっと約束の子が与えられた喜びも束の間、今度は神は「あなたの愛する独り子を…焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(創世記22:2)とアブラハムに命じます。一見して、神は何と残酷かつ矛盾した要求をなさるお方か、と思えますが、この時もアブラハムは、神のご命令に従って約束の子イサクを献げようとしました。この時彼は、「神が人を死者の中から生き返らせることもおできになる」と信じたのです。これは彼が神を畏れるものか否かを試されたのです。実際イサクを献げるまでもなく、神はアブラハムの信仰を認め、身代わりの小羊を与えられました。
わたしたちの人生もアブラハム同様に一つの旅です。目的地は、神の備えてくださっている天の故郷、永遠の御国です。わたしたちはそこに行きつくまでに様々な出来事に遭遇し、人々との出会いを経験しなければなりません。「人生の旅」を通して、神を畏れ、その戒めを守ることこそ、人間の全てであり、真の幸福の源である事を学ぶのです。