おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
今月はイエス・キリストと出会った人々を聖書から取り上げてお話しています。きょうはイエス・キリストがお生まれになったとき、ベツレヘムの村で夜通し羊の群れを番していた羊飼いたちを取り上げたいと思います。聖書によれば、イエス・キリストの両親、ヨセフとマリアを別にすれば、キリストと最初に出会った人物は、この羊飼いたちです。
当時、ユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。ローマ帝国のために人頭税を徴収する必要から、ユダヤの国では全国的な人口調査を行うようにとの命令が皇帝アウグストゥスから出されました。どこの人でもそうですが、外国の支配のもとで、税金を収めることほど屈辱的なことはありません。ユダヤの国でも民族の誇りにかけて、抵抗する一団も現れるほどでした。人口調査の時には不穏な空気もつきものでした。
イエス・キリストがお生まれになったときの時代の背景はそのようなものでした。キリストの両親も自分の故郷ベツレヘムに出かけて、そこで登録を済ませなければならなかったのです。長い道のりは出産間近いマリアにとってどれほど大変なことだったでしょうか。また、ヨセフにとって身重のマリアを気遣いながらの長旅は、いつも以上の気苦労で、旅の疲れも増したことでしょう。人々の移動で宿屋も満杯になるほどです。イエス・キリストが家畜小屋で生まれたのも、そういう背景があったからです。
ところが世の中がこんなに騒動の中にあるとき、野原で野宿をしながら羊の群れを番する羊飼いがおりました。彼らのことを呑気な羊飼いというのは失礼でしょう。当時の羊飼いは「地の民」と呼ばれ、卑しい身分とみなされていました。世の中がどんなに騒々しいときにも、羊の群れを番するほかありません。ユダヤ人の生活にとって欠かすことができない羊を世話しているにもかかわらず、人並みの扱いを受けることがない、というのはなんと不条理なことでしょう。寒い夜も、野に出かけて羊と共に過ごさなければなりません。雨の日も風の日も、そうするより他にできることはなかったのです。それでも人々から尊敬されることも、感謝されることもありません。「地の民」というレッテルを貼られた人には、裁判の証言をする信用さえ与えられていませんでした。人から信用されないこと、これほど自尊心を傷つけることはありません。
この羊飼いたちに、キリスト誕生の知らせが一番先に届けられたというのは、決して偶然ではありません。神は天使を通して、この羊飼いたちにキリスト誕生のメッセージを伝えました。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:11)
天使の言葉は「あなたがたのために」救い主がお生まれになったと告げます。確かにこの「あなたがた」というのは、羊飼いであるあなたがたのため、とも取れますが、ユダヤ民族全体をさして「あなたがたのため」とも取れます。それがどちらの意味であるとしても、少なくともこの天使の言葉は、羊飼いたちの心を動かしました。彼らは、即座に思い立ちます。
「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」
この羊飼いたちには、天使の言葉が自分たちへのメッセージと響いたのです。どんなに素晴らしい知らせであっても、それを受け取る心がなければ意味がありません。この天使の知らせは、受け取る心を今も求めています。