キリストへの時間 2013年12月29日(日)放送 キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 主イエスと出会った人々-シメオンの場合-

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 今年もあと数日で終わりを迎えます。新しい年が、ラジオを聴いてくださっているあなたにとって、祝福に満ちた年となることを願ってやみません。
 さて、今月はイエスと出会った人々を、聖書から一人ずつ取り上げてお話しをしています。きょうはシメオンという老人の話です。この人は、ルカ福音書によれば、「正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた」(ルカ2:25)…そういう人物でした。しかもその上に、主からの約束を受けていて、救い主であるメシアに会うまでは決して死なないと約束されていたのです。メシアに会うまで決して死なないとは何と特別な約束でしょう。
 ただ長生きするということが約束されていたのではありません。シメオンと同じように長生きをした老人は、この時代に他にもたくさんいたことでしょう。しかし、シメオンだけがメシアに会うことを約束されていたのです。しかも、その日が来るまでは決して死なないと固く約束されていたのです。
 そのシメオンが、生まれて間もないイエスを連れて神殿にやってくるヨセフとマリアを見たときに、その腕に抱かれた子供こそが待望のメシアであることを直感します。そしてメシアに出会うとの約束が今や果たされたシメオンは賛美の歌声を上げます。

 シメオンは開口一番、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」(ルカ2:29)と歌います。余談になりますが、このシメオンの賛美の歌声は、ラテン語聖書では、最初の二つの単語をとって「ヌンク・ディミッティス」(nunc dimittis)と呼ばれて親しまれている箇所です。そして、多くの作曲家たちが、このシメオンの歌に曲を書いています。
 このシメオンの言葉には、神の約束に対する厚い信頼と、果たされた約束に対する深い満足感が表れています。
 死ぬ間際になって人はじたばたとしがちなものです。遣り残した数々のことを悔やんだり、残される家族のことを思って平安な気持ちがかき乱されたりと、平静な気持ちを失いがちです。
 しかし、このシメオンにはそうした動揺は微塵も見られません。神の約束が果たされ、平安のうちに世を去ることを受け容れているのです。
 もちろん、それには理由があります。シメオンはこう言います。

 「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(ルカ2:30)

 シメオンが目にしたのはやがてメシアとして活躍する小さな赤ん坊だけではなかったのです。その赤ん坊を通して実現する「神の救い」を信仰の目をもって見たのです。
 シメオンはイエス・キリストの奇跡の御業も十字架も、復活も何一つとして目撃することはありませんでした。しかし、シメオンには素晴らしい信仰の目があったのです。

 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」

 世を去るとき、そのように言うことができる人は幸いです。それは主の約束が必ず果たされることを確信して生涯を過ごした人だけが口にすることが出来る言葉です。いえ、そのように生きることを聖書はわたしたちに求めているのです。

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