メッセージ: 権力者たちの思惑(使徒24:24-27)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
権力の座につくということは、人間にとってとても魅力のあることです。もっとも、実際に権力の座についたことがないわたしが言うのでは、まったく説得力がないかもしれません。しかし、権力の座に魅力がなければ、だれもそこにつこうとはしないでしょうし、権力闘争の歴史自体が、いかに権力に魅力があるかを物語っています。
権力の座に魅力があるということは、必ずしも悪いということではありません。魅力的であればこそ、たくさんの人間がそこに群がり、その中から優秀で実力のある人がその座を手に入れるという原理が働きます。しかし、また逆に、権力の座は魅力的であるので、人を堕落させる危険もあります。権力によって私腹を肥やす誘惑は、どの時代、どの国でも耳にします。また、一度手に入れた権力は誰しも、失いたいとは思わないので、あらゆる行動が自分の権力を維持することにしか向かわないという危険があります。
きょう取り上げようとしている個所には、パウロを巡って、権力者たちの思惑が顔をのぞかせています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 24章24節〜27節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。さて、2年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。
前回までは、パウロを総督フェリクスに訴え出たユダヤ人たちの主張と、それに対するパウロの弁明を取り上げてきました。双方の主張が出そろったところで、総督フェリクスは、パウロを自分のところによこした千人隊長リシアの到着を待って判決を下すことを約束しました。
こうしたフェリクスの行動は、一方に偏らない賢明で公平な総督である印象を、この使徒言行録を読む読者に与えます。確かにこのフェリクスのお陰で、パウロは公平な裁判を受ける権利が保たれています。それはフェリクスのお陰というよりは、フェリクスがローマ法を順守した結果であるとも言えます。
前回取り上げた個所の最後に記されているとおり、パウロは判決が下るまでは監禁されていたとはいえ、ある程度の自由が与えられ、友人たちがパウロの世話をすることは妨げられませんでした。これはフェリクスがパウロに対して特別に好意的であったというよりは、ローマ市民権をもつ者に対して、それにふさわしく接したということでしょう。
きょう取り上げたエピソードによれば、フェリクスは監禁されたパウロをたびたび呼びだして、話を聞いたことが記されています。ただ、使徒言行録の著者によれば、それは宗教的な関心からというよりは、パウロからお金をもらおうとする下心も働いていたということでした。
確かにパウロがエルサレムにやってきたのは、異邦人教会で集められた救援金をエルサレムの教会に手渡すためでした。それはパウロ自身がフェリスクの前で証言していることですから、フェリクスにとってはそうしたパウロの集金力は魅力的に映ったのかもしれません。釈放のための取引材料として、フェリクスはパウロにお金の話を持ちかけたのかもしれません。
しかし、フェリクスがパウロをたびたび呼び出したのは、単にお金が目当てだったというのではありません。キリスト・イエスへの信仰について話を聞くためでもありました。すでに前回取り上げた箇所でも言われているとおり、フェリクスは「この道についてかなり詳しく知っていた」(使徒24:22)人物でしたから、それなりの関心はあったのでしょう。ユダヤ人の妻であるドルシラからキリスト教の話はきかされていたことでしょうから、少なからない関心があったと想像されます。
ところで、妻のドルシラは、ヘロデ・アグリッパ一世の三女に当たる人物でした。アグリッパ一世については使徒言行録12章に記されている通り、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺し(使徒12:1-2)、その後急死した人物です(12:23)。ドルシラにとってフェリクスは二度目の結婚相手であり、フェリクスにとってドルシラは三度目の妻でした。フェリクスは割礼をうけずにユダヤ人であるドルシラを娶ったために、ユダヤ人からは反感を買ってしまいます。そのために過激なユダヤ人がフェリクスの時代に横行する結果となったと言われています。
そういう訳ありの結婚でしたから、キリスト教から自分の心を安心させるような話を聞きだしたいという思いもあったのかもしれません。
しかし、パウロが選んだ話題は、「正義や節制や来るべき裁きについて」(使徒24:25)でしたから、かえってフェリクスの心に恐れを抱かせるものでした。フェリクスにとっては耳の痛い話であったことでしょう。
そして、こうした話題をもちだすことは、パウロにとっては自分の身を危険にさらすことにもなりかねません。けれどもパウロは、自分の身の安全のために当たり障りのない話をするのではなく、聞く者にとってほんとうに大切なことを大胆に語る人でした。
さて、パウロの裁判は放置されたまま2年がたち、総督がフェリクスからフェストゥスに交代します。紀元59年か60年のことでした。交代の理由はフェリクスがユダヤ人の統治に失敗したからです。実際、そのあとフェリクスはユダヤ人たちによって皇帝に訴えられ、危く失脚するところでしたが、自分の兄弟パッラスによってその難を逃れることができました。
フェリスクが引き起こしたユダヤ人たちの過激なグループの暗躍、つまり熱心党やシカリ党の暗躍は、後任者であるフェストゥスにとっても頭を悩ます問題となりました。
フェリクスがユダヤ人たちのご機嫌をとってパウロを監禁したままにしておいたというのも、当時のこうした事情を考えれば、容易に理解出来ることです。フェリクスにとっては、パウロの身の潔白よりも、パウロをユダヤ人を懐柔するための手段として使った方が有用だと考えたに違いありません。
監禁生活をいたずらに長引かされてしまったパウロにとっては、権力者の思惑に翻弄された年月であったと言えるかもしれません。しかし、ある程度の自由が与えられたこの期間は、パウロにとっては自分自身の信仰を深め、またカイサリアにいるクリスチャンとの交わりを深めるよい機会であったに違いありません。
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