メッセージ: 皇帝への上訴の道(使徒25:1-12)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
前任者のやり残した仕事を引き継ぐというのは、後任者にとっていつも喜ばしいことばかりとは限りません。特に労ばかりが多く報いが少なければ、取り組む意欲がそがれてしまいます。しかも、扱いを誤れば命取りにもなりかねない問題となれば、そのまま放置しておくというわけにもいきません。
きょうは後任者としてパウロの問題を任された総督フェストゥスのことを取り上げます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 25章1節〜12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
フェストゥスは、総督として着任して3日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、「だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか」と言った。フェストゥスは、8日か10日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった。パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。」パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。
前回取り上げた個所にもあった通り、総督フェリクスのもとで2年間監禁された後、フェリクスに代わって総督としてやってきたのがポルキウス・フェストゥスでした。フェストゥスについてはほとんど知られていませんが、ヨセフスの書いた『ユダヤ古代誌』(20:8:10-11)によれば、着任早々フェストゥスを悩ませたのは、一方ではシカリ党などの過激なグループによる暗殺事件が横行していたことであり、もう一方では、少しあとになりますが、アグリッパ二世がエルサレムの宮殿に立てた高い塔が神殿内を見渡せることから、ユダヤ人の反感を買い、その対抗措置としてユダヤ人たちが高い塀を築いたことでした。
着任早々3日という早さで、カイサリアからエルサレムに赴いたのも、こうしたことがらの背景を考えれば、ごく当然であったということができます。新しく着任してきた総督にとって、常に問題の火種を抱えるエルサレムを自分の目で見ておくことは、それほどに重要だったということができます。
さて、2年間も放置されたままになっていたパウロの問題は、着任してきたばかりのフェストゥスにとっては急を要するほどの重要なこととは思えなかったでしょう。しかし、祭司長やユダヤのおもだった人たちには、2年たった今も、決して放置できない問題だったようです。新任の総督がエルサレムを訪問する機会を逃さず、パウロの引き渡しを要求します。
彼らの狙いは、パウロをエルサレムに送り返してもらい、そこでユダヤの裁判を受けさせるということではありませんでした。そうではなく、その途上でパウロを暗殺してしまうことでした。パウロを暗殺する計画は2年前、すでに一度は失敗しているのですが(使徒23:12-15)、それでもなおパウロを暗殺しようとする思いが、彼らの内から消えていないことに驚きを覚えます。パウロの命を絶つことができるなら、裁判であれ暗殺であれ、手段はどうでもよくなっています。しかし、そのことは裏を返せば、キリスト教がいかにユダヤ教にとって目障りな存在となっているかという証拠です。
パウロの引き渡しを要求するユダヤ人に対して、フェストゥスはその要求を拒んで、彼らこそがカイサリアに赴いてパウロを告発するようにと命じます。パウロがカイサリアで監禁されているいきさつをフェストゥスがどれほど詳しく知っていたかは分かりませんが、囚人がパウロではなかったとしても、総督のこの判断は妥当なものと言えます。なぜなら、既にカイサリアにいる囚人をエルサレムまで送り届けることは、時間とコストの無駄であることと、まして、囚人がローマ市民権を持つものであるならば、安易にユダヤ人の要求を飲むわけにはいきません。
こうして再びパウロのための法廷がカイサリアで開かれることになりました。パウロを訴え出たユダヤ人たちにとっては、パウロ暗殺の計画を実行に移す機会を失ってしまいましたが、しかし、法廷で争うチャンスは依然として残されています。この機会を逃してしまえば、パウロは無罪放免されるかもしれません。そうならないようにとユダヤ人たちは必死でパウロを訴えます。
けれども、使徒言行録によれば、彼らは「重い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった」ということです(25:7)。立証できないことを訴えるほど、彼らの必死さがうかがえます。
対するパウロの弁明は、「ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはない」、というものでした。ほんとうにこの一言で弁明を終えたのか、それとも使徒言行録が趣旨を要約して伝えているのかは分かりませんが、いずれにしても証拠を示すことができない彼らの訴えに対しては、この一言で十分です。
「否定する者には立証の責任はない」(negantis nulla probatio)というローマ法の格言が生れるのはもっと後の時代ですが、無罪を証明できないから有罪だというのはいくらなんでも乱暴な議論です。訴える側こそが証拠を挙げて証明すべきことは自明の原理です。
では、両者の言い分を聞いたフェストゥスの判断はどうだったのでしょうか。フェストゥスは、パウロにこの件についてエルサレムに上って裁判を受ける意志があるかどうかと問います。使徒言行録によれば、それはフェストゥスがユダヤ人に気に入られようとしてしたことだと記されています。
確かに、先にも触れたとおり、ユダヤで騒動が起こればやっかいな問題に発展しかねません。ユダヤ人たちに気に入られることも、治安を維持する責任がある総督としては必要であったかもしれません。
ただ結果としては、エルサレムでの裁判を拒み、皇帝への上訴を望んだパウロの発言によって、事態は一気に別な方向へと進みます。
フェストゥスにとっては、このパウロの発言は渡りに船であったかもしれません。なぜなら、自分を厄介な問題から解放してくれるいい口実を与えてくれたからです。
しかし、神の目からすれば、このようにしてパウロをローマに向かわせる道を神は用意してくださったのです。
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