いかがお過ごしでしょうか。江古田教会の風間義信です。
新約聖書の初めの4つの作品は「福音書」と呼ばれるもので、イエス・キリストが何をなされたのかを知ることができます。その中のヨハネによる福音書では、最後に「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。…その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ福音書21:25)と言われています。
これは決して大げさなことではありません。なぜなら、それほど大きなことがこのイエス・キリストによってなされたからです。キリスト教会では、しばらくすると受難節という時を迎えます。受難とは文字通り難を受けることですが、これはイエス・キリストが苦難を受けたことです。どうして受けなければならなかったのかと言えば、罪なき神の子が罪のこの世へと来られたからです。
そもそも罪とは的を外れるという意味でして、神の教えという的を外れたものが罪です。全く的を外れていない方とすっかり外れている者とでは、その教え、行動、すべてにおいて違っています。その違いが人々のイエス・キリストへの迫害となってあらわれ、とうとう十字架につけてしまいました。しかし、そのことによって、本来ならば神の教えから外れている罪に満ちている者の罪をイエス御自身が背負われ、その死によって罪に対する刑罰を代って受けてくださいました。この知らせはどれほど詳しく書いても書きすぎということはありません。その聖書の教えをあなたにもしっかりと受け止めていただきたいと心から願っています。