いかがお過ごしでしょうか、国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は旧約聖書詩編の、「個人の嘆きの詩編」のひとつ、第13編を学んでいます。
わたしたちが大きな苦しみに遭う時、まず口から出るのは、呻きか溜息でしょう。これらは言葉以前です。言葉としてまず口から出るのは嘆きでしょう。この詩編作者もそうです。最初の2節は嘆きです。読みましょう。
いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。いつまで、わたしの魂は思い煩い、日々の嘆きが心を去らないのか。
いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
この人はいったいどのような苦しみの中にいるのでしょうか。「敵」という言葉があります。古い時代ですから、攻めて来て命を狙う敵が実際すぐ近くにいるのかもしれません。人が人生で出会う様々な苦しみを、総括して「敵」と言っているのかもしれません。自然災害を擬人化して「敵」と言ったのかもしれません。新約時代の私たちなら、「敵」とは、心に巣食うどんなに努力しても克服できない醜い罪の思いのことだと考えてもよいでしょう。とにかく凄まじい苦しみの中にいます。
しかし、この2節にも既に「救い」が感じられます。嘆きを聞いてくれる相手がいる!これが苦しむ人にとってどんなに大きな支えか、わたしたちも小さくても体験しています。