いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘にあります東洋宣教教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
アインシュタインは教育についてこのように語りました。「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそが教育だ」。つまり、知識ではない、ということです。心得というか、志というか、とにかく、心ですね。知識というのは、そのための手段に過ぎないわけです。
けれども、人間は往々にして、手段を目的化してしまいます。見ようによっては、教育だけでなく、社会はすべて、手段の目的化でできているとも言えます。お金は手段です。学歴も手段です。きっと、地位や名誉もそうでしょう。でも、ほんとうのところ、そのことをきちんとわきまえている人は、どれくらいいるでしょうか。聖書にも、そのような人間の有様が嫌というほど描かれています。
ただ、これをどう伝えるべきかは難しい問題です。アインシュタインが教えてくれているとおり、本当に大事なものは、知識として伝えることができません。
イエスさまが、逮捕される前に、弟子たちの足を洗ったことを思い起こします。足を洗うのは、奴隷の仕事です。イエス様は、身をもって、弟子たちに自分自身をささげました。自分たちの中で「誰が一番偉いか」と議論していた弟子たちに対してです。弟子たちは、とても良い教育を受けたと思うのです。
どうぞお近くのキリスト教会で、そのような恵みを受けてください。