おはようございます。埼玉県・川越教会の木村香です。
ずいぶん昔のことなんですが、1889年4月15日に、ベルギー人のダミアン神父がハワイのモロカイ島でなくなりました。彼が17年間伝道し、生活の改善、医療に尽くしたここは、ハンセン病の島でした。
ある日島の人たちと海岸に行き、焚き火をした。輪になって話をしている時に火の粉が飛んで、自分の足に落ちた。けれども、熱くない。診断してもらうと感染していました。その直後に友人に手紙を書きました。「わたしは患者となりました。わたしの希望の命の輝きは、ついに実現しました」。
「希望の命の輝き」、何のことでしょうか。今まで以上に患者の気持ちが分かる、彼らの苦しみを知り、愛し、いよいよキリスト教を深く伝えることができる、と考えたのです。実際、神父はこの時から患者を「あなた方」とは呼ばないで、「わたしたち」というようになったと、このように伝えられています。
イエス様はこの世界に、人となってこられただけではありません。罪人の罪、死、地獄の苦しみを全く御自分のものとされて、文字通り、「わたしたち」の一人となって下さいました。いや、わたしたちと代わって下さった。罰をみんな一人で引き受けて下さいました。
何ということでしょうか。神の御子が、わたしたちの罪とは全く関係のないお方が、それほどまでにわたしたちのことを考えて下さるとは。それはイエス様の愛です。
こういう讃美歌があります。「キリストにはかえられません/世の宝もまた富も/このおかたがわたしに代わって死んだゆえです/世の楽しみよ、去れ/世のほまれよ、行け/キリストにはかえられません/世のなにものも」(讃美歌第2編195)。
全くそのとおりだと思います。