いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
今週は、「人間は天使か悪魔か?」という問いに答えるかたちで、私たちの心について考えています。
私たちの心は単純に善とか悪とか言えません。善と悪の間を揺れ動くという方が現実に近いでしょう。しかしそれも不十分です。善を善と認められる、即ち善い事をよい事だと思えるのはなぜか。善いことはすべきだと思うがなかなかできないし、悪いことはすべきでないと思うがついしてしまうのはなぜか。
このような人間の現実を見事に言い表している言葉が聖書にあります。
「私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。」ローマの信徒への手紙7章19節
これは人格が分裂しているのではありません。「人間は生まれつき、善を行いたいと思っていても、実際はすべきでないとわかっている悪をしてしまう」という意味です。
言葉を変えて言えば、人間の心は、特に決断力・実行力は、生まれつき悪へと傾いているということです。ですから、何か善をしようとする時でも、この坂道の上では必然的に悪に向かって進んでしまいます。もっとも、この坂道の上には小さな「でっぱり」があり、ことごとく悪に陥るのを防いでいます。この「でっぱり」とは良心、又「善への憧れ」とでも呼べるものです。
キリスト教の「救い」とは、人間の心のこの悪へと傾いた坂道状態が正されることです。イエス・キリストを通して、神の力によって。