ご機嫌いかがですか。宇都宮教会代理牧師の豊川修司です。
旧約聖書のイザヤ書4章に次の御言葉があります。「よく耕して石を取り除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を建て、酒(さか)ぶねを掘り、良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」。
この喩は、ぶどう畑の管理者である神と神の民であるイスラエル民族をぶどうに譬えています。酸っぱいぶどうとは、主の御言葉に聞き従わないで、神に背いたイスラエルの民たちのことです。
新約聖書のヨハネによる福音書15章5節には、主イエス御自身が「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と語っておられます。
神が旧約時代のイスラエルに語ったのとは変わって、主イエスによる新しい民の教会の形成を語っています。枝が木につながっていることが、甘い美味しいぶどうを作る条件です。
もし酸っぱいぶどうなら、たちまち枝は切り取られるのです。
わたしたちの信仰は、ぶどうの木である主イエスにしっかりとどまり続けることです。そうすれば、良く実ったぶどうを収穫することができます。喜ばれるのは、農園の管理者父なる神です。
主の栄光を称えましょう。