お元気にお過ごしですか。私は茨城県、つくば市東、谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。運転中の皆さん、セイフティドライブでお出かけください。お出かけ前の皆さん、朝のお忙しいひと時ですが、少しお耳を傾けて頂けませんか。
家の近くから時々、綺麗な歌声や音楽が流れてきます。コーラスやブラスバンドの練習です。歌声を聴きながら、中学時代を懐かしく思い出したりします。
あの頃私にとっての先輩は、一段も二段も上にいる人たちで、先輩の言葉は時には、親の言葉よりも大切で本当に価値のあるものでした。先輩の励ましに従って練習をすると、確かにできなかった事ができるようになり、だんだん上達をしていきました。
学校を卒業すると、就職、結婚、そして女性なら出産、転勤、親戚づきあいなど、課題はますます複雑に大きくなっていきます。生きている限り、私たちは先輩が必要なのかもしれません。
では、病気になった時、親しい方が亡くなったとき、自分の死を考えざるを得なくなった時、私たちは誰に相談をしたらよいのでしょうか。死を体験し、今も生きていて、死の意味を、その命の意味を、親身になって教えてくれる、信頼できる先輩が、私たちにはいるでしょうか。
聖書は次のように語ります。
「イエスは言われた。『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」ヨハネによる福音書の11章25節以下で聖書はこのように語っています。
イエスは、あなたの為に十字架に架かり、三日目におよみがえりになられ、今も生きて、あなたの罪を赦し、あなたに永遠の命を与える、まさにあなたの人生の大先輩なのです。このお方とご一緒に今日も歩んでください。